北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」とは

事件は明らかな冤罪なのですが、冤罪であるがゆえに虚実入り組み合い、ことさらに紛らわしい伝わり方をしています。そこでまず事件を「事件の外形」「事件の実際」「冤罪の構造」と分けることによって説明します。

また事件の捜査・裁判資料は大審院判決を除いて一切が敗戦時に、当時の権力によって隠滅させられています。しかしその後、先人の手によって旧内務省警保局外事課が内部資料として冊子化していた「厳秘 外事月報 昭和18年2月分」に札幌地裁判決の全文が写されていることが発見されました。以下は、この文献に拠っています。

【事件の外形】

戦後1994年、事件から半世紀にして発見された札幌地方裁判所での判決文によると、北大生・宮澤弘幸については、
①大学学生課の斡旋による夏季労働実習で行った旧樺太(現ロシア領サハリン)大泊町の港湾工事現場で聴取目撃したこと
②同現場の係員から紹介された上敷香の海軍飛行場の工事現場で聴取したこと
③札幌逓信局長の斡旋で便乗した灯台監視船で巡航した樺太および千島列島の灯台で聴取目撃したこと
④樺太の大湊要港部で催された海軍軍事思想普及講習会に参加した折に見学知得したこと
⑤陸軍の千葉戦車学校での機械化訓練講習会に参加した折に聴講知得したこと
⑥満支方面(現中国の東北部および中国中央部)を旅行した折に目撃知得したこと
――を、他人であるレーン夫妻に漏泄したと極めつけ、軍機保護法違反と断じ、懲役15年(求刑無期)を下している。

レーンの夫妻

聴取・目撃・知得したとされる内容もことこまかに列挙されているが、肝心な聴取・目撃・知得・漏泄したとされる証拠は何ら示されておらず、対象事項の何が何ゆえ軍機=軍事機密なのかの判示さえなされていない。

たとえば灯台監視船からの目撃とされる根室の海軍飛行場については、航空史で名高い大西洋と太平洋の両大洋横断飛行のリンドバーグが飛来して以来、天下公知の存在だったから、何が軍機で何が利敵行為なのか見当さえつかない。

事件の動機については「同(レーン)夫妻に心酔して…略…其の感化を受け極端なる個人自由主義思想及反戦思想を抱懐するに至り、遂に我国体に対する疑惑乃至軍備軽視の念を生じるに至れる処、右『レーン』夫妻が旅行談を愛好し就中軍事施設等に関する我国の国家的機密事項に亙る談話に興味を抱き居るを看取するや…略…同夫妻の歓心を購わんが為」だったと断じている。

当然、上告(軍機保護法関係は二審制で大審院が最終審)したが、書面審理のみで法廷が開かれることなく棄却となり、懲役15年が確定し、網走刑務所に入獄させられた。

1941年12月8日に逮捕され、翌42年3月25日に札幌地方裁判所検事局に送致、同4月9日に起訴。地裁判決は同年12月16日で懲役15年。翌43年5月27日、上告棄却。

レーン夫妻については、かねてアメリカ大使館付武官らから軍事機密等の探知と提供を求められ承諾していたと極めつけたうえで、宮澤弘幸らから漏泄を得た軍事機密等を同大使館付武官らに漏泄したと断じ、夫妻個別に裁判に付され、ハロルドは懲役15年、ポーリンは同12年を科され、同じく上告したが棄却された。

夫妻とも逮捕は宮澤弘幸と同日で、地裁判決はハロルドが42年12月14日、ポーリンが同月21日。上告棄却はポーリンが43年5月5日、ハロルドが同年6月11日。

夫妻については、一旦、北海道内の刑務所に収監された後、43年9月に日米交換船で国外退去させられ、アメリカに送還されている。

3人のほかに北大生、北大助手ら7人が逮捕され、うち3人が懲役2年(うち一人執行猶予5年)を科されている。

【事件の実際】

宮澤弘幸について、判決の不可欠要件である旅行ないし実習の態様は、すべて目的の明らかな正々堂々のもので、目的を隠してひそかに行われた類のものではない。それらは上田誠吉弁護士らの調査によって

①は文部省が行った「学生勤労奉仕隊」の一環であり、これに応募して学生課の斡旋で学友数名と共に行ったもの

②は、その機会に、かねて関心のあった先住少数民族の国策殖民集落「オタスの杜」を見学し、そこから上敷香まで行ったもの

③は、札幌逓信局長が宮澤弘幸の父とかねて知り合いだったことから実現し、北大からの推薦も受けて便乗したもの

④は、樺太・大泊の夏季労働実習の二か月後に同地で催されたものであり、おそらくこの実習のときに開催を知って国を守る気概から申し込んだと思われる。軍の講習会だから、当然に、厳しく身元調査がなされたに違いない。

⑤は、同じく陸軍が催し陸軍が参加を認めたもの。ちなみに宮澤弘幸はこのあと海軍委託学生の試験を受けて合格(月45円の手当て支給)しているので、陸海軍の両体験を経て海軍により親近感をもったと思われる。

⑥は、旧満州での国策会社「南満州鉄道」の公募した学生論文に入選した褒賞として招かれた「満鉄招聘学生満州調査団」の一員として行ったもの、および海軍委託学生として便乗を許された軍艦に乗って上海まで航海したおりの中国旅行等――と明らかだ。

また、聴取、目撃、知得と表記されている用語は普通の言葉でいえば「見聞」であり、旅先の見聞として、その多くは『北大新聞』等に本人の手で寄稿され、また友人たちに旅土産として屈託なく語られている。犯意を持つ探知―漏泄とは全く次元の異なる唯の見聞であり、世間話の類といってよい。

しかも、その見聞談のほとんどには判決に示されているような細かな軍関係の話題を含んでおらず、また偶然含んでいたとしても語らないのが当時の理性であり、知性だった。

それは当時既に、特高(特別高等警察=内務省直轄でスパイ行為を含む政治思想取締りの警察)が土足で身辺うろうろしていることは世間公知であり、特高につけ狙われるような言動は話題にしないのが世の常識で、親しき仲における礼儀であり信義だった。

それが判決に記載されているということは、特高による「後出しじゃんけん」にほかならない。つまり旅行等の日程と訪問地など動かぬ事実だけを故意に抽出して、これに特高自身の手で収集した軍関連の瑣末な情報をそれらしく嵌めこみ捏造したのである。

これを「自白」に仕立てるには一手、拷問しかない。暗黒警察の密室の中で行われた拷問を個別に証明することは至難だが、上田誠吉弁護士らは大審院判決に織り込まれている「上告趣意書」や戦後に明かされた担当弁護士の述懐などから綿密に分析し、一連の事実を具体的、合理的に解明している。

【冤罪の構造】

どんなに否定し、どんなに反論しても一切聞いてもらえず、懲役15年という重罪に貶められる冤罪はなぜ起きるのか。

それはすべて根拠法である「軍機保護法」そのものの中に用意されていた。恐ろしいのは、この法定構造であり、それは以下の条文によって確かめられる。

第一条 本法ニ於テ軍事上ノ秘密ト称スルハ作戦、用兵、動員、出師其ノ他軍事上秘密ヲ要スル事項又ハ図書物ヲ謂フ

=これ、日本語でしょうか? 「秘密は秘密だ」といっているに過ぎません。いろいろ例示しているかにみせて、実は巧妙に「其ノ他」をはめ込むことで一切の枠も歯止めも外し、秘密の範囲を無限定無制限に広げている。

同条第2項前項ノ事項又ハ図書物件ノ種類範囲ハ陸軍大臣又ハ海軍大臣命令ヲ以テ之ヲ定ム

=つまり軍が秘密だといったら秘密であり、しかも何の理由も根拠も示す必要のない絶対秘密になるよう保証している。

本件冤罪では、軍機対象の一つである「根室飛行場」について、大審院判決は「海軍ニ於テ公表セラレサル限リ、(公知の事実であっても軍機=軍事機密として)依然保持セラレサルヘカラサル趣旨ナルコト、同条第二項ノ規定ニヨリ、是亦明白」と強弁している。

世間公知であっても、海軍が秘密だと言っている限り秘密だというもので、法理にあるまじき詭弁の典型というほかない。

第二条 軍事上ノ秘密ヲ探知シ又ハ収集シタル者ハ六月以上十年以下ノ懲役ニ処ス

=探知とは何か。日本語では「探り知ること」(広辞苑)とあり、特定目的(犯意)を持って「探る」ところに意味があるが、本件では漠然とした「聴取」「目撃」「知得」をもって探知とし、大審院でもそのまま判示している。

つまり、軍が秘密とした事象事項をたまたま見たり、聞いたり、知ったりすると、その見聞、知得自体がそのまま軍機法違反の犯罪になるという構図だ。犯意の有無等にかかわりなく犯罪とされるわけで、ここに冤罪をつくり出す基本構造が仕込まれている。

しかも、何がどう秘密なのかは全く国民に知らされない。仮に公開すれば秘密漏洩になり、秘密にもしておけなくなるから、故に一切知らせられないという理屈だ。

だが、ここで大きな矛盾が生じる。本件における④と⑤の探知は軍が募集・開催した講習会での見聞知得であるから、これは軍が自ら秘密を漏泄して学生に見せ、聞かせ、知らせ、よって探知犯とする構図になる。

逆に、これを否定して、もし講習会で見聞知得させたものが秘密ではないとなれば、判決は探知犯ではない者を罰したことになるわけで、本件はこの矛盾に頬かむりして、むりやり冤罪を仕組んだことになる。

第四条 軍事上ノ秘密ヲ探知シ又ハ収集シタル者之ヲ他人ニ漏泄シタルトキハ無期又ハ二年以上ノ懲役ニ処ス

=この「他人ニ漏泄」とは、相手が(犯意の有無等にかかわらず)誰であっても見聞、知得したことをしゃべると軍機保護法違反の漏泄犯になるという意味だ。

これでおわかりでしょう。見ざる聞かざる話さざる、あの日光東照宮の三猿なのだ。見たり聞いたり話したりしたことが、ひとたび特高(国家権力)によって軍機(軍事機密)と断じられたら、それでもうスパイ(国賊)にされる、そういう乱暴な構造を露骨に法文化したのが軍機保護法だったのである。

さらにこの法律では、たとえ偶然に知得してしまった場合でも他人に漏泄すれば同罪(第五条)となり、業務上で知得した者が漏泄した場合はもっと重罪(無期又ハ三年以上の懲役)となり、仮に過失であった場合でも有罪(三年以下の禁固)とされる。

また、「他人」という用語も独自の意味を持たされている。立法の趣旨から言えば、軍の機密を敵国に売るスパイを取り締まるのが本来の目的であり、この法律でも本来の対象を「外国若ハ外国ノ為ニ行動スル者」=スパイと規定している。

だが、この規定では取締りの対象がそれなりに限定され、また個々の事件では対象となるか否かをめぐって裁判の中で争いとなる恐れが生じてくる。そこで「外国若ハ外国ノ為ニ行動スル者」とならべて普通名詞である「他人」をも取締まりの対象に加えた。

この「他人」の範囲は「外国若ハ外国ノ為ニ行動スル者」以外の全員と読み替えられるから、ここに取締り対象を無限定、無制限に広げる根拠が仕込み込まれた。秘密の例示にあたって「其ノ他」を押し込んだのと同じ仕込みである。

本件冤罪では、宮澤弘幸らが漏泄したと断じる対象のレーン夫妻をこの「他人」としているが、さすがに「外国若ハ外国ノ為ニ行動スル者」とは断じられなかったのだろう。

レーン夫妻についての、犯罪(冤罪)構成の根幹となるスパイ行為の請託と受託は、逮捕される三年前、ハロルド・レーンが東京にあるアメリカ領事館ならびに大使館を訪ねたときに行われたと断じている。

もちろんレーン夫妻は否定しており、これも訪問日程だけを掠め取った「後出しじゃんけん」のやり口だ。しかも犯罪(冤罪)事実と断じているのは宮澤弘幸らにかかわる数件があるだけで、これだけではどうにも「外国若ハ外国ノ為ニ行動スル者」とは断じられなかったのだろう。

しかし、もし断じられていたら、加えられる罰条は「死刑又ハ無期若ハ四年以上の懲役」となるところで、危ういところだった。

このスパイ行為の請託と受託にしても、証拠は全く示されていない。断じた対象は大使館付武官らの外交特権保持者だから、万に一つも武官らが反証を持って裁判等に出てくる恐れがなく、そこを見越したうえで、起訴状でも判決でも裏付け不要の書き得になっている。

スパイ取締りという、当時の国情では誰もが否定し難い正義を表看板にして、実際には国家権力にとって気に入らない国民および外国人を一網打尽にする冤罪法というのが軍機保護法の正体だったのである。

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